仕事と就活のメモ帳

就活とか仕事の話とか

「12大事件でよむ現代金融入門」[読書]

スポンサーリンク

ここ最近はほとんど本を読んでいなかったのですが、

先日、この本が紹介されていたのを見かけたので買って読んでみました。

 

12大事件でよむ現代金融入門

12大事件でよむ現代金融入門

 

 

   

   

  

概要

金融史に残る事件を時系列順に解説していく構成になっています。

当時の時代背景の説明もあり、かなり詳しく書かれています。

また各章の最後にはポイントが要約されており、

ここを読むだけでもおおよその内容が掴めます。

 

1章 ニクソンショック

金とドルの兌換を停止するニクソンショックが起こる。それまでのブレトン・ウッズ体制が終了。その背景には ベトナム戦争からくる財政の悪化や欧州諸国の経済回復により、金の保有高の減少とドル不安があった。結果として金は欧州へ流出する。

アメリカの金兌換停止を欧州勢は察知していたのに対し、日本はそうした情報を持っていなかった。

ニクソンショックの後、ドル安を防ぐためにスミソニアン協定を結び、ドルに対する各国通貨の切り上げを行った。その中でも切り上げ幅が大きかったのは日本だが、新たなドルとの交換レートを維持することができず、主要国は変動相場制へ移行した。

 

2章 累積債務問題

1982年、メキシコが債務のリスケジュール(債務返済期限の延長)を要する。すると、中南米、アジア、東欧の国で対外債務返済が次々に困難になった。

オイルショックの影響が強く、石油価格の上昇、インフレ率加速の対応としてのアメリカの高金利政策、新興国輸入額と利払いの増加、外貨準備の急減と成長率の低下などから危機が助長された。

この危機を収めるために経済成長による対外債務問題の解消を目指すベイカー構想が示されたが、新興国の返済能力が疑問視されて構想は中止。ブレイディ財務長官が債権者としての民間銀行が損失を負担する支援策を打ち出した。

 

3章 プラザ合意

1985年、ニューヨークのプラザホテルでG%(米、仏、独、英、日)がドル高是正への合意を行った。しかし、想定以上にドルが下落し、協調介入でも止めることができなかった。

日本では円高不況対策として日銀が緩和策を採り、公共事業の拡大など大幅な財政政策を出動したことで、後のバブルの発端となった。

ニクソン・ショックやスミソニアン協定でドルが切り下げられたが、その後のインフレ対策のための高金利政策が、資金をアメリカに集めたことが背景にあった。

アメリカでは経常赤字と財政赤字という「双子の赤字」が定着し、国内の不満のはけ口として経常黒字国のドイツや日本に向けられる。日本はアメリカとの貿易摩擦に対応すべく、自動車など対米輸出自主規制を決めたが、本質的な問題はアメリカ企業の競争力低下だった。

 

4 ブラックマンデー

1987年10月、世界的な株価暴落が起こった。ただし、1929年の大恐慌のような実体経済の悪化を伴う暴落ではなく、株価は急反発した。

暴落の直接的な引き金となったのは、本来は相場下落のリスクをヘッジするための「ポートフォリオ・インシュアランス」というブログラム取引による売りだった。ブラックマンデーを契機に、市場リスクの重要性を認識し、リスク管理の概念が広がった。

ブラックマンデー直前にFRB議長に就任したグリーンスパンはその対応を高く評価され、「グレート・もでレーション(超安定化)」を達成したと賞賛された。しかし、これは労働生産性の工場だけでなく、負債の拡張を利用した成長でもあった。

 

5 日本のバブル崩壊

1980年代、不動産屋株への投機熱が加速して好景気に沸いた後、1990年初以降の株価下落や1991年以降の地価下落を経て急激に景気が後退し、銀行が巨額の不良債権処理に苦しんだ。

1989年末、大納会では3万8915円87銭を記録。国内は浮足立っていたが、翌年以降株価は下落。しかし、不動産市場の上昇期待は続き、バブルの余韻は後まで残っていた。この不動産神話の中で株価上昇ムードが広がり、銀行は「特金」の株式投資で収益を伸ばし、本業でも不動産担保融資を拡大。

「2つのコクサイ化」(国際流通市場の拡大と国際ビジネスの増加)を合言葉にし、不良債権の種となる中小企業やノンバンク、不動産、建設、個人などのセクターへの貸し出しを増やしバブル崩壊後は財務状況は一気に悪化した。

邦銀はバブル期に一斉に海外へ進出したが、不良債権処理の開始と同時に撤退。外資系金融の買収においても成功はすくなく、海外戦略は今なお課題として残っている。

 

6章 ポンド危機

1992年にイギリスがジョージ・ソロス率いるクヲンタム・ファンドに大量のポンド売りを仕掛けられる。為替レートが急落し、英中銀は介入するが敗北宣言を行って、欧州為替相場メカニズム(ERM)から離脱した。

欧州では1920年代から共通通貨への提言がなされ、為替レートの安定化が叫ばれていた。1979年の欧州通貨制度(EMS)が後のユーロにつながる。また欧州為替相場メカニズムは為替レートの安定化が期待されたが、欧州各国の経済格差は拡大しており、為替変動幅を維持できなくなったポンドが売りを浴びせられた。

1993年、マーストリヒト条約に基づいて欧州連合(EU)が発足、翌年に欧州通貨機構(EMI)が設立され、共通通貨制度導入に向かった。1999年にユーロが導入されたが、共通通貨でありながら、その要件である財政政策の統一はともなわず、不完全なものとして建材も続いている。

 

7章 デリバティブズの挫折

P&Gは、有利子負債コスト引き下げのために利用したドル建て金利スワップの支払いコストが、利上げによって急上昇。スワップをアレンジしたバンカース・トラストは、リスクを十分説明しなかったとして損害賠償を請求された。当時、同様のトラブルが多発した。

スワップやオプションといったデリバティブズは、もとはリスク管理手段であったがリターン向上のための投資目的として積極利用されるようになると、多くの損失例が出るようになった。

リスク管理が不十分な顧客に、不当な商品を販売した銀行側の責任が問われたが、自己管理できないまま危険な取引を行う企業財務にも過失があった。その後、契約の際の詳細な文章や、倫理的な判断が伴われるようになった。

銀行内で法外な取引に歯止めがかからなかったのは1990年代に株主からの利益要請圧力が強まり、高い株主資本収益率が求められていたことが背景だった。コウンプライアンスやリスク管理、取引監視機能が強化されたが、こうした収益至上主義は21正規も依然として続いている。

デリバティブズには事故はつきものだが、規制を厳しくしすぎるとその有用性が失われる。リスクヘッジをすることができる手段が他にはないため、利用に関してはデリバティブズの供給者である金融機関と、ユーザーである企業や投資家が、それぞれ内部のリスク管理部門の能力を向上させる必要がある。

 

8章 アジア通貨危機

1997年5月、タイ・バーツの急落をきっかけに高度成長中の東アジア諸国で通貨危機が起こる。マレーシア、インドネシア、韓国、フィリピン、香港と危機が飛び火。通貨売りを先導したヘッイファンドへ対抗するため独自策をとったマレーシア以外の国は、IMFの支援を受けた。「ドル建ての短期資本」が、「現地通貨の長期投資」に充てられる、通貨と期間の2点において、”ダブル・ミスマッチ”のリスクが醸成されたことが背景にあった。

「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる、IMFが支援国に要求した一連の政策は、IMFが積極支援する姿勢によって投資家の期待感を維持したことが評価される一方、失業者の増加や景気後退を引き起こすものとして批判がある。

アジア通貨危機の1年後、ロシアにも飛び火してヘッジファンドLTCMが打撃を受ける。NY連銀のマクドナー総裁が支援に動いた。ブラジルでも危機が起こるが比較的短期間で収束。90年代にメキシコから始まった通貨危機はブラジルで打ち止めとなった。

ドルが世界中の新興国の成長資本として受け入れらえる構造はこのころから続いており、21世紀に入っても新興国危機が絶えない理由と言える。

 

9章 ITバブルの崩壊

IT企業が従来型のビジネスを駆逐する「ニュー・エコノミー」を実現するとして、成長を期待されて投資が過熱したことがITバブルと呼ばれる。2000年3月をピークにITバブルは崩壊した。

実績を生み出せずに資金調達に走ったベンチャー企業の破綻が起こり、エンロン、グローバル・クロッシング、ワールドコムなどの大型倒産も相次いだ。企業財務への不信感も高まり、企業会計や財務諸表の透明性向上を目指し、SOX法が2002年に導入された。

 

10章 リーマン危機

パリバ・ショック:2006年、アメリカの住宅価格の上昇が鈍り、FRBが政策金利を引き上げると、低所得の人が借り入れる住宅ローン(サブプライムローン)の金利支払いが滞るようになった。これが証券化市場の不安材料となり、ファンド解約要請が殺到。2007年8月にBNPパリバ参加の運用会社が解約請求に応じないことを発表すると、為替市場や株式市場で混乱が起こった。

ITバブルバブルや同時多発テロ後の経済立て直しに向けた金融緩和の過程で、信用力の低い人々へ向けたサブプライム・ローンが拡大し、それを組み込んだ証券化商品が信用のある商品として広まった。米議会は、金融危機の反省かRあ、2010年7月に金融規制改革法を制定した。

 

11章 ギリシャ財政不安

ユーロ危機:2010年1月に欧州委員会がギリシャの財政赤字の実態を明かし、ユーロの信用が低下したことをきっかけに起こった債務危機が南欧諸国を中心に広がった一連の危機。

ギリシャはユーロ加盟で経済が表面的に安定していたが、実態は膨大な債務が隠れていた。ギリシャの対外債務のうち、6割近くをフランスとドイツの金融機関が保有していたため、民間債権放棄が難しかった。このことから2度にわたる支援が行われた。

ギリシャ国内では支援の条件の歳出削減などで、経済後退が続いた。デフォルトやユーロ離脱が懸念されたが、ECBのドラギ総裁がユーロ圏を守るためなら「なんでもやる」と南欧国債を買い入れる姿勢を示し、市場の懸念を払拭した。

現状も南欧諸国の債務危機の主因である、ユーロ圏として共通の財政政策が採用されていない状態は続いており、危機再燃の可能性は残る。

 

12章 終わらないフラジャイルワールド

バーナンキショック:アメリカが金融緩和縮小の動きを強めると、投機筋は財政収支や経常収支が赤字で対外債務比率の高い新興国に襲いかかり、「フラジャイル・ファイブ」と呼ばれるブラジル、インド、インドネシア、トルコ、南アフリカの通貨が急激に下落した。

90年代の危機の経験から、自国通貨を守るために外貨準備を積み上げていたことや、変動相場制に移行しているために無理な介入を行う必要がなかったことから対応が行われた。しかし、逆風となる環境変化として、投資家の多様化により相場の振幅が増幅されやすくなった点がある。

ある地域が抱える政治的・軍事的な緊張関係が、世界中の金融・資本市場に影響を与える「地政学リスク」が高まりやすくなった。これが高まると、リスクオフや安全資産への逃避買い起き、日本円、スイス・フラン、米国債の買いや、株式市場での一斉売りが見られる。

規制の対象となる商業銀行以外の金融セクターによる投融資「シャドー・バンキング」が拡大しており、理財商品や信託商品で注目された中国のほか、最大のシェアを占めるアメリカの実態にも注視が必要である。

 

感想

一読後の感想としては、入門とタイトルにありますが、

専門用語がふんだんに盛り込まれ、

書いてあることがよく分からないことがあるほど

情報量が多く、難しい内容だと思いました。

しかし、金融史がテーマにあるだけあって、

ニクソン・ショックを起点に、

時系列順に起こった事件を詳細に解説しています。

事件の内容だけでなく、

その事件が起こるきっかけとなった背景や、

各国の対応、その次に連続して起きたことまで、

わかりやすい文体で書かれています。

就職先が金融業界なので購入したのですが、

初学者である自分には、基礎知識を学びながら

2回、3回と繰り返し読んでいく必要があると感じました。

 

あとがきでは、「市場経済は素晴らしいが、完璧ではなく、それを補強する」のが金融史を学ぶ目的であり、「危機の影響を最小限にとどめ、新たな成長機会を見つけることが課された宿命」であると書かれています。

こういう本を読むと、とても賢くなった気分になります。

が、別に読む前と後では別に大きな変化はありません。

もしかすると、あとからじわじわと知っていることが良い影響があるかもしれませんが、今はただ読むだけで満足してしまいがちなることも。

しかし、それはとてももったいない。

読んだ内容がどう生かされるかはわかりませんが、

少なくともどうにか役立てることはできないかと考えながら、

本を読んでいきたいなと考えています。

あとがきに書かれていたような目標は僕には大きすぎるので、

少なくとも自分が生きていく範囲で必要なことはしっかり学んでいきたい

と思ったところで、今回は終わります。

 

 

12大事件でよむ現代金融入門

12大事件でよむ現代金融入門